2018/08/15(水) 15:50〜17:53 ten.【若一調査隊!京都“五条通”はなぜ道幅が広がった?】[字]


>>そうですね。
>>どれだけの量のおうちを取り
壊したんだろうなっていうのは、
この道路の幅を見ていると、感じ
ますよね。
>>逆にね。
>>そうですね。
さらに進むと見えてきたのが、五
条通に面した、
本覚寺。


古澤さんの調査の出発点となった
場所です。
創建1222年、
こちらのお寺は、源氏物語の主人
公、光源氏のモデルとされ、
嵯峨天皇の皇子であった、
源とおるの邸宅があった場所です。>>こんにちは。
>>お世話になります。
>>今、95歳でいらっしゃいま
す、
本覚寺の志水さんとおっしゃいます。
>>どうも。
>>よろしくお願いいたします。
>>こちらが建物疎開に遭ったと
き、おいくつぐらい?
>>23ぐらいでしたね。
>>ということは、
そのときはご主人はもう、ここに
はおられなかったわけですか?
>>戦争に行っておりましたね。
>>当時、夫は戦地、
ビルマに出征中だったという志水
さん。
この由緒ある寺も、建物疎開を免
れることはできませんでした。
>>建物疎開に遭う前に比べたら、
今はもう、
境内が3分の1ぐらいになってし
まったんですか?
>>そうですね。


ほとんど取られました。
ここからちょうど、あそこの、
植木があるとこ、
あそこもうちょっと広がって、全
部ありました。
台所もおトイレもなんにもなかっ

た、全部取られてしまった。
>>いわゆるくりですね、お寺の
生活の場が、全部潰されたという
ことですよね。
>>本堂だけ残ったわけなんです。>>戦前の境内には、
住職の家族が暮らすくりもありま
したが、建物疎開によって取り壊
され、
貴重なものはすべて本堂の中に移動させたそうです。
>>悔しいとか、あんまりそうい
う気持ちはなかったですか?
>>しかたないですもんね、うち
だけではなかったですもんね。
>>志水さんらへの聞き取りを基
に制作された、
建物疎開前の京都の地図。
今も未完成です。
制作者の折場さんには、この地図
に込めた、ある思いが。
>>ここに住んではった人がどう
いうことを感じていはったか、
ひと言ずつでも書けたら最高やな
いかって。
それを平和に暮らすために使った

らどうかな、それが一番いいんじ
ゃないかなって。
>>大規模な空襲被害を受けなかった京都には、
五条通だけではなく、
堀川通や御池通にも建物疎開の痕跡があり、
学術的な観点からも調査が進めら
れ、
研究書も出版されています。
世界的観光都市、京都に残る戦争の痕跡。
そこに、
知られざる悲劇があったことを、
後世へと語り継いでいかなければ
なりません。
>>ということなんですが、ご覧
になってどうですか?
建物疎開の実態を。
>>よくやっぱり、車で通ってる
と、
五条通って広いし、走りやすいし、
気持ちいいな思うて走ってました
けど、
やっぱりいろんな思いであそこ通
られている方もいてるんだなと。
やっぱり、あの途中でVTRの途
中で、堀川通も広いなって思った
んですけど、やっぱりそうなんで
すね。
>>そうなんです、
堀川通も御池通もそうですね。
全国で60万戸以上の家が潰され