2019/01/30(水) 15:50〜17:53 ten.【若一調査隊!広島“福山城”へ「京都・伏見城」との深い関係とは】[字]


家康との深い関係が。
福山城を建築した水野勝成の意外
な人物像に迫ります。
その謎を探るため、
調査隊は天守閣の中へ。
福山市の歴史に関する貴重な資料
が展示されています。
数々の武功を上げ、
戦国時代から江戸時代にかけて、
勇将として名をはせた水野勝成。
徳川家康からは西国に対する防御
を任されるなど、
信頼が厚い人物でした。今でも勝成は地元の人たちから尊
敬され続けています。
>>福山の繁栄の基礎を作ったのは、やっぱりこの水野勝成さんな
んですよ。
 
非常に治水工事とか、干拓事業と
か、そういうことに一生懸命取り
組まれて。
>>福山城が築かれるまで、福山という町は存在しませんでした。
勝成はその福山に全国的に見ても
5番目の早さで飲料水を送るため
の上水道を造り、いわば町の礎を
築いた人物なんです。
ではいよいよ天守閣の最上階へ。
>>うわー。
>>これが天守閣からの眺めです
か。
福山市外を一望できる眺め。


南に見えるのは、瀬戸内海です。
>>海からこの城の堀までちゃん
と川でつながってて、
物資を運べるようになってるわけ
ですからね。
>>福山城は平野部の城でありな
がらも、
瀬戸内海へ通じる水路を持つ、
便利な海城でもあったのです。城だけではなく、
町の整備をも経て、
巧みな都市設計者として今も地元で愛される水野勝成。
この名君には実は、天下人、家康
と深い絆がありました。
そんな2人のつながりを示す宝物
があるということで向かったのは、
勝成が眠る菩提寺、
賢忠寺。勝成の墓には、毎月の命日に、
賢忠寺が経営する幼稚園の園児6

90人が、墓参りに訪れています。
そんな菩提寺で大切に保管されて
いるという、
家康と勝成の関係を表す宝物とは。
 
年に1度しか公開していないとい
うことなんですが、今回、特別に
見せていただきました。
>>これは、徳川家康公から勝成
公が拝受したと伝えられているも
のなんですね。
>>そうなんです。徳川家康公は

水野勝成公のいとこに当たります。
>>実は、家康と勝成の親は兄弟
で、2人はいとこなんです。
そんな強い信頼関係の中で、
家康が勝成に贈ったとされる宝物がこちら。
>>うわーっ!
若一さん。>>きれいですね。
>>すっごくきれい、これ。
>>こちらは400年前に家康が贈ったオランダ製の砂時計。
当時としては非常に珍しい品です。
皮を張った木製の繊細な細工。
そこには金であしらわれたアラベ
スク模様が。
住職が砂が落ちる時間を計ったと
ころ、きっちり100分だったそ
うです。
勝成の数々の手柄に対し、
家康が贈ったのではないかと考え
られています。
>>時を制する者が国家を制する
わけですから、昔から時間という
のは支配者と一体化されたもので
すからね。
>>お宝発見しましたね。
本当に。
町の発展の礎ともなった福山城。
皆さんもその雄大な歴史に触れてみてはいかがですか。
>>ということですが、
お城には大変詳しいあかほりさん、いかがでしたか?
>>赤星さんです。

 
>>あかほりさんは弁護士です。
>>福山駅の目の前にあるのって
分かって、なかなか行けてなかっ
たんですけれども、ちょっと興味
ありますね。
>>これも本当に目の前ですから、
新幹線途中下車して、多少、1時
間あったらぱぱっと行ける、急げ
ばね。