2019/09/17(火) 00:20〜01:10 プロフェッショナル 仕事の流儀「医療器具開発者・西村幸」[解][字][再]

ものづくりは 一般的に開発の目標が定まると→
精密な設計図作りから始まり→
部品の発注 そして 試作 組み立てと長期間を要する。
だが 西村は違う。
西村の開発は頭で考えたことをラフなメモに書くだけ。
図面におこすことなく すぐに製作に入る。
部品も 作れるものは自ら作る。
とりあえず短時間で形にし
改良に費やすための時間を確保する。
それが 西村のものづくり。
量産化やシステム化という点では日本のものづくりは確実に進歩している。
だが 忘れ去られようとしていることも
あるのではないか。
(西村)あっ ご苦労さん どうも。
今後のものづくりは どうあるべきか。
中小企業を支援する関係者がやって来た。
この土地のものづくりの文化を医療器具の分野で復活させたい。
そのためのアドバイスを西村に求めた。
県は 工作機械の購入など 助成金で中小企業をバックアップしてきたという。
ものづくりの根本を問うた。
4月上旬。
西村は 病院にいた。
11年前 重いがんを患った西村。
今も 3か月に一度の検査が欠かせない。
体調は 決して良くない。
(西村)高い 異常に高い。
がんは小康を保っていたが→
7年前に患った心筋梗塞の後遺症が
深刻だ。
西村の心臓は 半分が壊死し


機能していない状態だ。
身をもって 病のつらさを知る西村。
自分は いつまで現場に立ち続けられるか。
そのことばかり考えている。
何が これほどまでに極小ハサミの開発に駆り立てるのか。
プロとしての意地があった。
(西村)満足はしないし 妥協はしないし→
追求は怠らないし
っていうのが過程なんで。
職人 西村 幸。
がんと共に 今を生きる。
(西村)う~ん 少年の頃…。
久しぶりの休日西村さん夫婦を公園に誘った。
うん 食べるか。
西村さんの これまでの人生を聞いてみたかった。
フフフッ。
ハハハハッ!
(西村)なんつったら いいかなぁ。
西村さんの最初の勤め先は 東京。
なんと 法務局だった。
社会の仕組みを知るには法律が一番だと考えたという。
でも 職場の人間関係になじめず
4年半で退職した。
(西村)なんつったら いいかなぁ…
やっぱりね あの…
行く当てもなく とりあえず
ふるさとの長野・岡谷に戻った。
そのころ
出会ったのが…
半年後に結婚をした。


何か稼がなくちゃいけない。
当時の岡谷は
カメラなどの精密機械工業が盛んだった。
親戚の紹介で ある職人に出会う。
岡谷では珍しい医療器具の部品を作っていた。
その仕事ぶりを見て 驚いた。
飯田さんは 道具がなければ自分で作り→
部品がなければ
それもまた自分で作った。
飯田さんの口癖だった。
迷わず飯田さんに弟子入りした西村さん。
それから10年近くにわたって
職人としての姿勢をたたき込まれた。
50歳を過ぎた頃だった。
西村さんの前に 一人の医師が現れた。
内視鏡治療の難しさに
ストレスを感じていた本間さんは→
誰もが安全に使える
極小のハサミを作れる職人を探していた。
話を聞いた西村さん。
飯田さん直伝の技を駆使し その場であっという間に見本を作ってみせた。
その後 二人は
ハサミの実用化に向け 試行錯誤を続けた。
そんなある日
西村さんは 体に異変を感じた。
がんが見つかった。
ステージ4の状態。
幸い手術は成功した。
がんという病の苦しさを自らの体で知った。
早期にがんを発見し

腫瘍を取ることの大事さも改めて知った。
だからこそ 内視鏡治療に使える
極小ハサミが必要だと思い知った。
手術の翌年。
世界最小の極小ハサミを完成させた。
でも 西村さんの仕事は終わらない。
更なる高性能なハサミの開発に挑み続ける。
(西村)満足してないですよ。
まだまだ これからです。
極小ハサミを開発した スゴ腕職人