2020/12/30(水) 08:19〜09:32 ファミリーヒストリー 選「北野武〜父と母の真実 阿波国徳島に何が!〜」[字]
連れて 足立区の平屋へ。
菊次郎によって 家族は
厳しい生活に追い込まれたのです。
(取材者)あの… 娘さんだから
いいんじゃないでしょうか?
という事ですが…。
ああ 商品を…。
ハセガワ? 全然 違いますね。
全然 違いますよ!
いやぁ~…!
東京・足立区にある…
武の父 菊次郎が
ペンキを塗った部分。
仕事の跡が残されています。
それは 神輿蔵の扉部分。
昭和30年代に塗ったものです。
昭和6年以降 足立区の小さな平屋に移り住んだ北野家。
借金を抱えた貧乏生活でした。
値段の張る漆の仕事が減り→
菊次郎は ペンキ職人として
再出発していました。
昭和11年には 長女 安子が。
昭和17年には三男 大が誕生。
仕事に気合いが入る菊次郎。
かつて 洋品店を潰したほどの型破りな性格はというと…?
(三輪 今田)顔! 顔! 顔!
いくら人がよくて「悪いじゃねえか」ったって→
骨接ぎ 塗りに行って
足 くじいたって男は→
いまだに いないですけどね。
これは 弟のギャグですけど。
そのぐらいね…。
ほんとの話です これは。
戦争中 菊次郎は
山梨の戦闘機工場に徴用され→
機体の塗装を担当していました。
そのまま終戦を迎えます。
そして 昭和22年。
北野家に4番目の男の子が誕生。
名前は 「武」。
「竹のようにどんな困難にも耐えて→
すくすく伸びてほしい」。
両親が名付けました。
このころ さきは
子供たち全員に→
毎朝 行っていた
事があります。
家に 1本しかなかった包丁で→
子供たちの鉛筆を削る事を欠かしませんでした。
「とにかく勉強」。 徹底させました。
菊次郎の収入が期待できないため家計のやりくりは 大変でした。
さきは 内職を掛け持ちし
家族を支えます。
和服の仕立て おもちゃの組み立て
雑誌の付録作り…。
このころ 離れて暮らしていた
祖母のうしも→
北野家で 再び同居を始めました。
教育に対する さきの思いを察し→
義太夫節の稽古代を
家計に回すようになりました。
もう それは言ってました。
14歳で家族を失い貧しさの中で生きてきた さき。
手に職がなかったばかりに→
5年以上 奉公先の便所掃除に甘んじました。
さきの意地がありました。
そのかいあって北野家の長男 重一は→
国立千葉大学工学部の前身
東京工業専門学校を卒業。
都内の高校で 機械工学を教え→
その後もエンジニアとして活躍しました。
長女 安子は 都立の
進学校を卒業後→
結婚を機に
軽井沢で ペンション経営。
三男の大は→
明治大学工学部工業化学科に入学。
その後 大学教授に。
そんな中 末っ子の武は…?
近所からの評判は 「遊びの天才」。
打ってよし→
演じてよし→
そして 笑顔よしの人気者。
常に 武のまわりには
大勢の友達が集まりました。
すごい!
めちゃくちゃ集まってる。
そして 昭和40年→
さきに尻をたたかれ続けた武は…
さきの信念が
子供たちに届いた瞬間でした。
ところが…。
母の言いつけに従い入学した工学部機械科。
けれども武には その先の未来が
描けませんでした。
武 大学3年の時 学校をやめる
覚悟を固め 家出を決意します。
家族に ないしょで 荷物を
運びだそうとした その時…。
さきに勘当を言い渡された武。