2020/12/30(水) 08:19〜09:32 ファミリーヒストリー 選「北野武〜父と母の真実 阿波国徳島に何が!〜」[字]


きょうだいたちにも何も告げず家を飛び出していきました。
武さんは やめてるつもり
やったんですね もう。
昭和47年 武が向かった先は
浅草のストリップ劇場。
ショーの合間に行われるコントや漫才が
人気を博し→
連日 大盛況でした。
武は ここで エレベーターボーイの職にありつきます。
当時 劇場で寝泊まりしていた 武。
その部屋は今も残されていました。
出演者の楽屋の 更に奥。

うわぁ~…!
え~ こちらが 昔 武さんが
生活をされてた部屋ですね。
僅か3畳の屋根裏部屋。
武の芸人人生はここから始まりました。
2年の下積みを経て
先輩芸人の兼子二郎と…
昭和49年 正統派漫才で
浅草デビューを果たします。
ところが
まったく うけず…。
目の肥えた観客から やじを
浴びせられる事も しばしば。
甘い世界では ありませんでした。
売れない時代に武が通った浅草の居酒屋。
河野さんは 元浅草出身の
役者であり 武の先輩。
お金のない武は


どうやって店で食べていたのか?
河野さんが再現してくれました。
しつこい…。やつ しつこいから…。
やっぱり気付くよ それだけ
やりゃあ こんなんなって。 ねえ。
(取材者)
中のお客さん 何て言うんですか?
(取材者)犬みたいじゃないですか。
そうだよ!
河野さんは このころの武に→
他の芸人にはない姿を見ていました。
(取材者)勉強してんですね。
「先輩の後ろ姿を見て正統派漫才をしているだけでは→
俺は 絶対に売れない」。
母さきと決別し 自ら退路を断った武には 意地がありました。
武は
小説から時事問題に至るまで→
あらゆるジャンルの本を
読みあさりました。
舞台作家に何度も質問をし ネタを
ゼロから作り上げていきました。
そして生まれた漫才が…。
偽善や建て前を笑い飛ばす…
従来の正統派漫才を根底から覆す
スタイルは→
お笑い界に
賛否両論を巻き起こします。
その結果
テレビで注目される事となりました。
音信不通になっていた

きょうだいたちは→
突如
テレビ画面に現れた武に驚きます。
武の家出から20年余り。
母 さきは 足立区の実家で三男の大と同居していました。
変身!
(笑い声)
既に 10本近いレギュラー番組を抱え
スターダムに のし上がった武。
テレビから 連日 流れる
息子のバラエティー番組を→
さきは食い入るように
見つめていたといいます。
大学の工学部をやめ→
芸人という未知の世界へ飛び込んだ息子 武。
さきは 心配が募り→
テレビを見て笑う事は一度もありませんでした。
天寿を全うしました。
今回の取材でさきの遺品が見つかりました。
大さんの自宅奥に
大切にしまわれていた物です。
う~ん… ジャジャン!
ないしょで しまっていたタケちゃんマン人形。
さきなりに 一生懸命
息子を応援していました。
そして大正時代 うしと一緒に営む
洋品店で使っていた→
五つ玉のそろばんも出てきました。
更に こんなものまで…。
平成4年 武が2年連続で→

好きなタレント100人の第1位に選ばれた時の記事。
切り抜きなど
めったにしない さきが→
大切に取っていたのです。
母の反対を押し切り別の道を歩んだ息子。
誰よりも怒った母。
誰よりも心配し誰よりも応援していたのも→
また 母 さきでした。
いやぁ いかがでしたでしょうか?
大事に取っておられてましたね