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2021/01/10(日) 05:00〜06:00 こころの時代〜宗教・人生〜 選「心の置き去り ほっとかれへん」[字]


いいなと思ったんですけどね。
復興住宅の入居というのも やっぱし→
避難所から仮設の時に抽選であったように同じように また抽選なんですね。
だから 仮設住宅で こう出来上がってきた
関係がまた崩れると。
周りから見れば なんか きれいな
マンションに入居してよかったなと→
思うかもしれないけれども
でも 入居した瞬間に→
隣は知らん人状態なんですよね また。



また そういう状態になった。
今度は もっとひどくって
仮設住宅の場合やったら→
隣の物音が聞こえる ベニヤ一枚なのでね
だから話し声も聞こえるし→
それから なんか食べてるニオイもする。
だから なんか 人間の…人がこう生活してる感じが→
1人ではあっても感じるわけです。
だけど こうマンションという復興住宅であればね→
これはもう 完全に遮断されてしまって→
ニオイもしない音も聞こえないってなるんですよ。
だから 一気にね
何ていうか 鉄の扉って言われたし→
そういうふうな状況に
ポンとこう 置かれると。
とりわけね 僕 訪問したところは→
荷物がなかってね だから1DKの復興住宅でしたわ。
もう何にもない。 ちゃぶ台があって
テレビがあって その横に電話があるだけ。
で 押し入れの中にも
全部 荷物を置けるから。
だから ガランとしてしまってね
あれは寂しいやろなと思う。
まあ当時 復興住宅が出来た瞬間に
僕はもう 仮設住宅があればね→
まだ 被災しているなというようなことが
外から分かるけれども→
復興住宅に入ってしまえば
マンションなので→
その瞬間に もう消えるんですね。

だから あの人たちはみんな復興したんだな とかいうふうに→
思うかもしれないけれども それは
はたからであって 建物であって→
こう ひと皮めくって
その人の生き様みたいなね→
生活どうなんだ? というた時には
かなり違った。
よりしんどい状況に置かれてるというのが
現実やと思います。
あの… 復興住宅が出来た瞬間に
支援はポーンと途切れたんです。
発災当時ですね 発災当時は
支援者がいっぱい いたわけです。
だけど こう ず~っとなくなっていく。
だけど こちら側で こう右肩上がりになってるのは 年齢ですね。
当事者の年齢が どんどん どんどん こう
年月とともに こう…。
もう 人々も前向きに生きるようになった
と思うけれども→
実際は ひと皮めくったら違うんですね。
高齢者の人たちは 住み慣れた場所の家住んでた家が潰れた。
そして 住み慣れた家から離れたと。
で 今はついの住みかの復興住宅に住んでる。
この人たちにとってみたらね
ここがいとおしくて いとおしくて→
これ もう しかたがないでしょ。
そこから離れたと。
若い人であればね ゼロからの出発で
もういっぺん頑張ろう となるけれども→
高齢者は

その住み慣れたところから離れてしまう。
家も失う。 ほんで もうローンも組めない
というようなところからやったら→
もう一回 マイナスからの出発なんですね。
マイナスからの出発で→
じゃ ゼロになって
プラスになるのかというたら→
いやいや もう マイナスが
もっともっとマイナスになっていく。
自分も年取っていってね
そして 希望はないというふうなね→
気持ちに陥りやすいんですね。 だから
どんどん どんどんマイナスに転じていく。
周りからは見えない。 もう ノックして
中をのぞかないと見えないですよ。
話をしなければ見えない。
でも あれですよね おそらく行政は→
「終わった」と 「マル!」っていうことが
いっぱいありましたよね あのころね。
特に 人の どういう気持ちで住んでるのか
とかいうのは→
もう ほんとに見えなくなってしまってる。
だから震災は 5年たったから10年たったから 25年たったから→
薄らいでいるっていうふうに
思っちゃいけないですね。違いますね。
震災で倒壊した建物は 次々と再建され→
神戸は 復興に向け活気を取り戻しつつありました。
復興ムードの中 高齢者は災害復興住宅で
孤立感を深めていたといいます。
1人暮らしの高齢者を支援する重要性を


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