すぐ よっしゃ! ってことになった?
いきなりは ならへんですね。 やっぱし
いきなりはならんかったけども→
そういうふうに言うてくれる人がいるのだ
ということですよね。
だから もう来るなと言われてたら
行けないです。
だけど おいでということは
エンジンふかして→
今から もういっぺん行こうかな
という気持ちにはなりますよね。
実際に こう 向こうに行くというような
もうちょっと時間はかかりましたけどね。
だけど そういうふうな 行こうかなと
もういっぺん行っていいんやという→
僕らが行っていいんだ
というふうな気持ちになりましたね。
自分が支援している被災者の言葉に
勇気づけられた牧さん。
続けてきた支援にも また→
共に活動する仲間や募金というかたちで→
牧さんを支えてくれる人たちが
いたのです。
25年間 「よろず相談室」の
その活動を続けてこられた。
そのバックには やはり→
牧さんを更に支える仲間の存在もあったんですよね。
それはもう 仲間の存在はね…
これ 地道な活動なんでね→
なんか こう イベントをするっていう
活動じゃないので→
ほんとに志のある人だけが来るんです。
その人たちの 一人としていなければ→
やっぱり 今のこういう「よろず相談室」は
なかったんじゃないかなと…。
だから みんなに感謝ですね 僕は。
それもあるしカンパの存在というのは大きいですね。
僕らはみんな 手弁当でやってるので→
「よろず相談室」に 今もそうですけどもカンパくるんですよ。
僕にとってみたら
頑張れよ! という無言の…→
何ていうのかな
背中を押されてる感じと思いますね。
とりわけ一番印象に残ってるのは→
東京の人でね 毎月1,000円です。送ってくれはるんですよ。
1年間に1万2,000円を
ポンと1回送ったら→
普通はいいんですけどね 違う。
毎月1,000円なんですね。
途中で そのお母さんも
1,000円を送ってきはる。
同じ名前なんでね 分かるんですね。
名字がね 一緒で。
だから 1,000円 1,000円と
別に送ってくれはるんです。
8年間。 8年間 ず~っと送って下さる。
毎月 毎月。おそらくね そんなに裕福じゃない人が→
こう 返事も要らないからということで
ず~っと もう。
あれはね ほんとに支えられたし
頑張らなアカンなとは思いました。
そういう人たちが結構たくさん いはって。
その訪れた人たちの中で→
こういうこともあるんだっていう
そういうシーンはありましたか?
ありましたね。
仮設住宅で→
おばあさんと もうちょっと若い人がね
仲良くなったんですよ。
おいくつぐらいの方と
おいくつぐらいの方ですかね。
80と50ぐらいですね。 だから…。
で その男の人は若かっておばあさんが80ですけども。
だけど その男の人は→
なかなか自分のことは言うてくれへんかったんですけどね。
俺は四国から出てきて 何も言われへん→
人に言えないことをしてきたんやと言うてはるんですよ。
その人が そのおばあさんと
おばあさんと知り合ったわけですね。
どんな知り合い方かっていうたら
この人にはお母さんがいなかったんです。
お母さんは いなくって。
男の人にはね。
で この人が 家を失ったけども 私が
お母さんになってあげるって言ったって。
で そのかわり 私 厳しいよと
私はちゃんと教えるよということで→
ご飯も教えて そういうふうなつながり
親子関係が築けられたんです。
料理の作り方も 男の人に教えた?
私が死んだらあなたが自分で生活できるように→
というふうにして教えられたそうです。
で 毎日 日記書くようにということも言われた。
そうやって もう
全部守らはったんです この人は。
で しょっちゅう ご飯を作って
お母さんとこ持っていくわけですよ。
で 結局 そのお母さんという人は
亡くなりましたけどね。
だけど その男の人の腕の中で