抜てきしていただいて。
原口≫遠藤憲一さんはもちろん
いろいろな方がこのドラマには
出ていらっしゃいます。
1983年に放送された
「壬生の恋歌」。
幕末、新撰組に集った若者たちの
青春ドラマです。
蛾次郎≫
負けるけんかを承知で
女が体張ってんのをよ
黙って見てるって
手はねえもんな。
渡辺≫すごい!
遠藤≫暴れん坊の役。
渡辺≫かっこいいですね。
すごいはっちゃけた役でしたね。
遠藤≫用意スタートで現場では
ああやっていましたけれども
人見知りなんですよ。
自分からうわあっというのは。
今はそういうふうにするように
していますけれども
当時、空き時間とかは
カットがかかったら
静かにしていました。
誰とも話さない。鶴瓶さんともひと言も
話していないと思います。
それを見かねた内藤さんが
1回だけ
エンケンお前…
当時、遠藤って呼ばれてたかな?
みんなで飲んでいるから来いよと言われて
1回だけ誘われて
行ったという感じですかね。
あとは待ち時間とか
空き時間ずっと
自分の中に入って
用意スタートからテストから変貌するという。
渡辺≫本当は皆さんとしゃべりた
かったんですか?遠藤≫どういう
思いだったんですかね。
ちゃんと仲よくなちゃえば
うわあっとなるんですけれども
当時ですよ。
今は自分から入るようにしてい
ますけれども
独りぼっちで
どうだったんだろうね。
あるときからそういうのには
慣れちゃっていたかな。
渡辺≫周りの人からしたら
あんなに静かだった遠藤さんが
用意スタートがかかったら
うわあっとなって
びっくりしちゃいますよね。
これをきっかけに後々はお仕事も順調で。
遠藤≫そこからは飛び飛びで
だんだん犯人役が
多くなってきましたね。
当時、刑事ドラマが多かったので
大体は逮捕されたり
時代劇もなぜか、普通20代全般っていうと
ヒロインの相手役は爽やかな
役じゃないですか。
癖のある役でそのころから
たたき斬られるみたいな
そういう役を
20代やっていましたね。
渡辺≫あれだけ辞めグセがあった
遠藤さんが役者を続けてこられたのはどうしてですか。
遠藤≫許可を取っていないので
詳しくは言えないんですけれども
ある写真展で
自然との対話という写真展があったんですね。
そこの横に短い詩で
僕はこの道から絶対に逃げないと
いう詩が書いてあったんです。
俺は辞めグセと捉えていたけど
すごい自分の癖のだめなところを
突かれた気がして
逃げてるんだ俺って
すごい弱っちょろいなと
自分で思って
そこからですかね
嫌なことがあっても
そこを我慢するところを
そこを我慢することが
続ける要素だと思って
ただ軽い癖と捉えていたのか
本当に自分の中のだめなところだ
と分かったので
そこから意識するようにして
我慢我慢という癖が
ついていった感じですかね。
渡辺≫その詩がなかったら
もしかしたらという。
遠藤≫何でもかんでも辞めていた
かもしれないですね。
原口≫遠藤さんには