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2019/02/06(水) 02:06〜04:13 火曜ナイトパーク「笑ってコラえて!福は内SP[再][字]」


高山病との闘いが始まる>
<高所に慣れているはずの
先輩メンバーでさえ→
頭痛や吐き気に襲われる>
<そんな中…>
<こうして14サミッターは
早くも1座目を制した>
<…のではなかった>
<当時の日本の組織登山では→
より安全確実に
登頂を成功させるため→
その時の状況を見た
隊長の現場判断で→
登頂メンバーを選抜するのが
慣例だった>
<竹内さんは…>
<1991年10月立正大学山岳部登山隊は→
メンバーの2人が頂上に立ち→

チームとしてのシシャパンマ登頂を成功させた>
<それから4年後の1995年>
<竹内さんに また…>
<…が訪れる>
<標高第5位8485mのマカルー>
<日本山岳会が
創立90周年の→
事業として
計画した登山だ>
<竹内さんは 即座に応募した>
<持ち込んだ荷物はおよそ17トン>
<前回と同じ…>


<前の登山で 高所に強かったことが評価されたのか→
竹内さんは…>
<見事 その頂に立つことができた>
<8000m峰 初登頂だった>
<そう思ってからの竹内さんは素早かった>
<翌1996年5月に
エベレスト>
<同年8月には
標高第2位→
K2の登頂メンバーに
選ばれ→
その頂上を極めた>
<しかし 1990年代の日本は不景気 真っただ中>
<金の掛かる 組織登山計画は
見る見る減って行った>
<そんな状況の中…>
<…していることを知りすぐに応募>
<4座目の挑戦は
8125mの→
ナンガパルバット>
<メンバーは…>
<竹内さんは…>
<この登山計画の主催者は…>
<この時 すでに 7つの
8000m峰に登頂していた→
ドイツを代表する登山家だ>
<しかし この登山で…>
<チームは 標高6200m地点で吹雪に見舞われて…>
<そこで 竹内さんはこれまでの経験から→
頂上を目指すチームと→

ベースキャンプへ食料を取りに戻るチームの→
2つに分けることを提案した>
<すると…>
<これまで
竹内さんが学んで来た…>
<結局 メンバー全員が
ベースキャンプに戻り→
食料を補給し
再度 頂上にアタックした>
<シェルパは雇わず
荷物は皆が手分けして背負い→
無酸素で てっぺんを目指す>
<こうしてチームは…>
<…に成功した>
<この新たな登山スタイルに引かれた竹内さんは→
2003年
再びラルフと共に→
7人の
少数登山チームを組み→
標高第3位
8586mの→
カンチェンジェンガに挑戦>
<最低限の荷物で全員登頂を目指す→
このスタイルは…>
<7400m地点で吹雪に遭い 足止め>
<結局 準備していた食料が
尽きてしまい→
今度は完全に…>
<しかし この山で 新たな登山家との出会いもあった>
<後に この3人は→

4つの8000m峰の登頂を共にすることとなる>
<…には ラルフ ガリンダと共に
6人のチームを組み→
標高第10位
アンナプルナに挑戦>
<死亡率1位の
恐ろしい山だったが→
見事 登頂に成功した>
<さらに同年7月11位 ガッシャーブルム[外:9F77254B08672A9AB8D66CCF3F39268F]峰の→
頂に登ると…>

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