挑んだ>
<これは その時に撮影された
貴重な映像だ>
<斜度45度はあろうかという
急な斜面を登って行く竹内さん>
<一歩でも足を踏み外したら→
…と思っただけでもぞっとする場所を→
どんどん進んで行く>
<すると目の前に大きな氷が崩れて来た跡がある>
(竹内さん) こんなの1個でも
当たったら死んじゃうよ。
<さらに…>
<歩いていた数センチ脇には→
底の見えない
大きなクレバスがあった>
<すると…>
<数分前までいた場所を容赦なく襲う雪崩>
<そして ついに>
(カメラマン) ホント。
<竹内さんは 8000m峰
全14座の完全登頂者→
14サミッターになった>
<8000mを超える…>
<酸素濃度は
地上の1/3ほどで→
人間はもちろん どんな生物も
生きることが困難で→
通称デスゾーンと呼ばれる>
<ここに ドイツの山岳専門家が→
14座について調べた
1枚の資料がある>
<それによると 世界第1位の
エベレストの登山者数は→
7010人>
<うち 258人が亡くなっており→
死亡率3.68%とある>
<最も死亡率が高いのはアンナプルナ>
<登山者数212人に対し→
67人が亡くなっており死亡率は31.6%>
<もちろんそれでも 生きて戻れる割合のほうが高いが…>
<1人の人間が14座全てに挑戦すると→
生きて帰って来られる可能性は
計算上…>
<そして…>
<そんな偉業を成し遂げた竹内洋岳とは→
一体どんな人物なのだろうか>
<1971年 竹内洋岳は→
竹内家3人きょうだいの
長男として生を受けた>
<小さい頃は…>
<勉強は苦手じゃなかったはずなのに 全く…>
<その状態のまま 竹内少年は高校へ入学した>
<部活動が盛んな高校だったため→
新入生は取りあえず→
1つは部に所属しなければならなかった>
<入部手続きさえ済ませれば
その日は帰宅していい>
<しかし…>
<どの部活の手続き窓口も列が出来ている>
<すると…>
<それが竹内さんと山との出合いだった>
<このやる気のなさで入った
山岳部だったが→
すぐ
山の魅力に取りつかれた>
<きっかけは1年生で登った
北アルプスの…>
<登山コースは
ハイキングレベルの優しいものだったが→
そこで顧問の先生から
聞いた話に→
衝撃を受けた>
<1990年 立正大学に入学した竹内さんは→
憧れの山岳部に入部した>
<すると偶然にも→
翌年のヒマラヤ登山計画が
あることを知る>
<目指す山の名は
シシャパンマ>
<14座には
入っているが→
一番低い
8027m>
<国内の山しか経験したことの
ない竹内さんにとって…>
<だが 登山隊に参加するには→
100万円の費用が必要だった>
<シシャパンマ登山隊の
メンバーは→
立正大学山岳部員の他に
山岳部OBや医師 コックなど…>
<各メンバーには輸送係や
食料係など→
役割が割り振られ
組織化されており→
登山は
計画的に進んで行った>
<しかし
5000m 6000mと→
高度が上がるにつれ