2019/12/31(火) 10:20〜11:50 NHKスペシャル選「緒方貞子 戦争が終わらない この世界で」[字]

(拍手)
国際社会に 大きな足跡を残した
指導者をたたえる授賞式。
緒方貞子さんの
勇気ある行動と 大胆な決断は→
今も 世界の尊敬を集めています。
難民を救う国連機関のリーダ-難民高等弁務官を→
1991年から
10年にわたり務めました。
それは 世界が初めて直面した
困難な時代でした。
民族や宗教対立による
武力紛争が 各地で激化。
国際社会が
有効な対策をとれないまま→
多くの命が失われていきます。
ふるさとを奪われ さまよう2,000万人を超える難民たち。
彼らの運命が
国連難民高等弁務官→
緒方貞子さんの決断に
委ねられていました。
この危機に 女性初の
難民高等弁務官として挑んだ→
緒方さん。
前例にとらわれない決断を次々に下します。
全ては 命を救うために。
戦争で苦しむ人々への 深い思いと冷静に現実を見据える力。
緒方貞子という人間を
作り上げたものは 何だったのか。
波乱に富んだ人生を 遡ります。


14歳で迎えた太平洋戦争。
目の前で町が燃え
炎が人を襲いました。
曽祖父は
総理大臣を務めた 犬養 毅。
日本が戦争へと向かう時代に
暗殺されます。
せん越ながら 私は 大臣の
お考えには 承服致しかねます。
外交官だった父。
日中戦争のさなか→
政府の方針に異を唱え
和平を訴えます。
貞子が 戦後 取り組んだテーマ。
日本は なぜ戦争に突き進んだのか。
その貞子が
思いも寄らぬ事から→
41歳で 国連に
デビューする事になります。
挨拶の言葉は…。
「私 台所から国連に参りました」。
それまで 夫と2人の子どもと
穏やかな日々を過ごしていた貞子。
(貞子)どなたかしら。
意外な人物との出会いが→
貞子を 国連という大舞台へと
導いたのです。
初めまして。
私 市川でございます。
世界を覆う 悲惨な現実と


その中を生き抜く人々の力。
国連難民高等弁務官という
激務に就いたのは→
還暦を過ぎた 63歳の時でした。
言いかえれば生きている人間のためですよね。
長く 内戦に苦しんだアフリカに
今も残る 緒方貞子の記憶。
(拍手)
85歳の今も 戦争がもたらす悲劇について考え→
語り続けています。
実は 私が高等弁務官中に…
それを作るのに お手伝いすると。
人が幸せに生きるために。
戦争が終わらない この世界で
奮闘を続ける 日本人の記録です。
♪♪~
いよいよ… 一巻の終わり?はあ…。
高等弁務官! お急ぎ下さい!
乗りかかった船…乗りかかったヘリね。
どうぞ 座って下さい!
こちらです!
1991年4月。 これが 第8代
国連難民高等弁務官 緒方貞子の→
難題に満ちた10年の始まりでした。
ミセス緒方 初めての軍用機はいかがですか?
すごい音…。
うん?
音が すごいわね!
向かっていたのは イラクの国境地帯。
イラクのフセイン政権に 弾圧されていた

少数民族 クルド人が 武装蜂起。
ところが 政府軍に敗れ→
隣国のイランとトルコに逃がれようとしていました。
その数 なんと180万人。
これほど大量の難民が一気に生まれたのは→
世界にとって
初めての経験でした。
国連からの強い要請で
難民高等弁務官となって→
2か月足らず。 突如 立たされた