あるからです。
国境を越えたかどうかに
関わりなくです。
いや しかし…。
一番大切な事はルールを守る事では ないはずです。
目の前で苦しんでいる人たちの
命を救う事です。
絶望している彼らの…
苦しみを和らげる事です。
みんなで この事態を
解決しましょう。
方法が あるはずです。
UNHCRの救援活動が直ちに始まりました。
国境を越えていない
国内避難民にも→
難民としての支援を行う。
組織の前例に縛られる事なく緒方さんが下した→
果敢な決断でした。
その後 間もなく起きたユーゴスラビア紛争でも→
この方針は生かされ→
多くの国内避難民の命が救われる事になります。
イラクで起きた出来事は
その後 10年で→
何度も 見られるようになった
地域紛争の先駆けでした。
緒方さんは 国内避難民の救済に
非常に積極的でした。
なぜなら 彼女は ユーゴスラビアの
崩壊も予想していたからです。→
もし そうなれば
国境線も変わってしまいます。→
今日は 国内避難民だった人が
明日には→
国境の外で難民となる可能性も
十分にあると 考えていたのです。
難民支援の歴史を変え→
その後も 困難な決断の場に立ち続けた ミセス緒方。
決めなきゃなんないのは
私だから。
私が決めるより
しょうがないんだから。
だって 聞く人は いないんですよ。
私が決めなきゃなんないんですよ。
だから それは しょうがない。
そのためにいるんだもんね 私。
トップっていうのは
そのためにいるんですよ。
じゃないかね。
(聞き手)ご自身の中で 判断の基準として→
最も大切にされていたもの
っていうのは何でしょう。→
いろんな判断
難しいと思うんですが。
分からないね。
やっぱりね ある程度→
いろんな条件とか インフォメーションを
頭の中で整理した上で→
勘だなあ やっぱり。
最後は勘ですね。
どっちがいいだろうっていう事は
全部 整理してたら→
決められないですよ
いつまでたってもね。
だって 本に出てくるのと
違うんですもん。
最後は勘だと思うよ 私は。
全ては 人の苦しみを和らげ命を救うために。
難民高等弁務官として
発揮された力は→
それまでの人生の中で
培われたものです。
出発点となったのは→
日本を戦争の影が次第に覆っていく時代でした。
世界にも伝えられた
その事件が起きたのは→
貞子4歳の時。
五・一五事件。
総理大臣 犬養 毅が→
軍による内閣樹立を目指す青年将校たちに銃殺されたのです。
犬養は 貞子の母方の曽祖父。
貞子という名前も→
犬養が
直々に付けてくれたものでした。
当時 貞子は
外交官だった父と共に→
アメリカで暮らしていました。
そこに 突然 飛び込んできた事件の知らせ。
あの時はね 私たちは
バークリーに住んでたんだけど→
その時に 起こったんだと
思うんですよ。
それで 曽祖父が殺された話は
聞きました そこで。
(聞き手)その時の家の様子は
どうでしたか?
非常に大変でしたよ。 何となく
みんなザワザワしてて すごかった。
日本から来た
お手伝いさんなんか→
ものすごくアップセットしてましたね