しょぼしょぼする人間には→
誰もなんなかったね やっぱりね。
皆さん! 自立しなさい!知的でありなさい!
協力的でありなさい!
あなたたちは たとえ 社会のどんな場所にいようとも→
そして どんな立場にあろうとも→
その場に ともし火を掲げられる女性になるのですよ!
(一同)イエス マザー!
1951年 貞子は マザー・ブリットに背中を押されるように→
アメリカに向かいます。
大学を卒業し留学すると決めたのです。
幼い頃 過ごしたアメリカへ。
その後敵国となってしまったアメリカへ。
親友たちに見送られての
新たな旅立ちでした。
とにかく 私たち 行ける者は
全部 参りまして→
貞が テープをお投げになるんですよ。
五色の色した紙テープ。
それを みんなでつかんで
それで 船が ボ~ッて。
あれ よろしゅうございますよね。
飛行機みたいに ブワンとは行かない。徐々に徐々に 情緒豊かにね。
行ってらっしゃ~いって
長い事 手を振って。
留学先は 首都 ワシントンにある名門
ジョージタウン大学の大学院。
ジョージタウンはね こういう一軒家が
いっぱいあるんですよ ず~っと。
いい所ですよ。 うん。
もうちょっと大きかったけど→
古いうちを
みんな 一緒に借りて→
その中に住んでたけど。
ルームメートに日本人はいませんでした。
貞子の柔らかな心が
世界の多様さに開かれていきます。
大学院での専攻は 国際関係論。
図書館に 貞子の指定席が出来たほど 猛勉強しました。
教授やクラスメートと
議論を繰り返す中で→
貞子は
自分のテーマを見つけていきます。
日本は
なぜ戦争に突き進んだのか。
どうして そういう戦争
したんだろうかっていう疑問は→
非常に そういう留学を通して
余計 持ちましたね。
だって 日本とアメリカとは 戦争して
日本は負けたんですよね。
それで すごい犠牲が
たくさん出ている訳ですね。
そういう中で じゃあ どうして
そんな事をしたんだろう→
っていう事を疑問に持つのは
最も当然な疑問だったと思う。
(ノック)
サダ! よく来てくれたわね。
お招き ありがとうございます。
これを。
ああ ありがとう。 さあ どうぞ。
人々と親しくなり アメリカの豊かさを思い知らされるにつけ→
更に膨れ上がる疑問。
なぜ 日本は この国と戦争をしてしまったのか。
(一同)乾杯!
うん おいしい!
私たちの国を
よく見てほしいのよ。
互いに よく知り
よく話し合う事が大切よね。
確かに… 私もそう思います。
私たちも日本人の友達が欲しいわ。
ええ…。
友達を たくさんつくって→
互いを よく知る事が
できるなら…。
きっと… 戦争なんて
起こらないと思います。
アメリカで生まれた問題意識は
後に この博士論文に実ります。
日米両国で出版された…
満州事変とは 1931年に起きた日本と中国の軍事的な衝突。
現地に駐留する関東軍が
中国東北部を占領し→
満洲国の建国を
もくろんだものです。
軍の暴走に なぜ その後も→
歯止めが かからなかったのかがテーマでした。
1958年 日本に帰った貞子。
この論文を書くため→
軍や政府の指導者たちに
聞き取りを重ねました。
(ノック)
お邪魔致します。
度々 押しかけまして
申し訳ございません。
いやいや。 さあ。
しかし あなたも熱心ですな。
まあ 一息入れて。 時間は