もう そのころ 普通の ただの農村だった。
その都市の違い 変遷史みたいのをね
子どもの頃から体験できたっていうのは→
「何でもありなんだ 街は」
っていうふうな感じをね→
植え付けられましたね。
隈さんのゆかりの場所をもう一つ訪ねました。
1964年の東京オリンピックの時に
つくられた 国立代々木競技場。
ここが 建築家になるきっかけに
なったそうですね。
そうなんですよ。 小学校4年生の時
1回目の東京オリンピックで→
おやじに この建物 連れてってもらって
あまりに かっこよくて→
この中入って
特にね この天井から…→
天から光が降りてくるみたいな
感じに 圧倒されて→
「こういうの 誰がつくったの?」って
言ったら 「建築家だ」って言うから…。
それまで 猫が好きで
獣医になりたかったんだけど→
猫から建築に この時変わった。
へえ~。
これはね 僕らも
ものすごい衝撃受けましたよ。
2本の柱が地上から立って
その間をケーブルで屋根をつってんの。
だから 当時は 建築で こんなことやるの
世界中で考えた人いなかったぐらい→
斬新なものをね しかも
オリンピックって 技術のない時にね→
そんな すごいこと できちゃった
当時の日本の挑戦精神っていうか→
びっくりしちゃいますよね。
これは 驚きましたよね。
本谷さんは 上京してから
劇団を立ち上げられましたけれども→
本谷さんにとって大切な東京の街って
どこかありますか?
大切な東京の街…。
私は 本当に 何者かになるための街だと思って出てきたので→
何だろう?
いまだに 東京がよく分かんない。
結局 何か こう 漠然としてて→
今 特に もう 東京である必要って何だろうって考えちゃって。
何かになりたかったら もう
東京しかないって思い込んでたけど→
全然 そんなことも
もはや ないじゃないですか。
インターネットもあるし。
そうです そうです。
だから 何か より
よく分からないものになってきましたね。
タモリさんにとって…。
同じですよ。
この世界に入るには
東京に行くしかないだろうって→
やって来たんだすけども。
「だすけども」って…。(笑い声)
ひょっとして 今 俺が若い子なら
ユーチューバーになってたかもしれない。
福岡にいたままでも…。
福岡にいたままで。
際どいことを
ずっとやり続けてたかもしれない。
我々の世代は どうしても やっぱり
東京に来ないとというかね…。
タモリさんが上京してきたのは 1965年が。
65年ですかね。
東京オリンピックの翌年…。
翌年ですね。
だから もう
東京 随分変わってた頃ですね。
あの時に 何か 新幹線も来て
それで 高速道路も来て→
田んぼの中に バンバンバンバン
コンクリートの高架橋が出来て→
何か 「えっ 何これ?」って感じで
見てたけど→
でも それ
普通になっちゃったからね そのあと。
東京や日本のありようを大きく変えた
高度経済成長の時の開発。
どんな開発だったのか 見てみます。
日本の戦後復興を象徴する建物といえばこちら 東京タワーですよね。
今 塗り替えが進められています。
地上160メートルでの作業の映像です。
東京タワーは 去年60歳を迎え→
テレビの電波塔の役割は終えましたが→
保全のために 5年に1回は
塗り替えを行っているんです。
タモリさんは ちょっと無理…?
あっ 無理ですね これ。
こうやって 人の手で
夜 作業するんですね。
営業が終わってから。
本谷さん こうやって 人の手で今も作業してるのは ご存じでしたか?
いや 全然… 全然知らなかったです。