どうでした? 街の雰囲気っていうのは高度経済成長期の頃って。
とにかく 経済優先。 それが
いろんな こう いろんな景気があって→
ちょっと へこんだりするのは
あるんですけど→
バブルになって
頂点を迎えるんですけどね。
このバブルがね 本当にすごいのは…
1週間後には売ってるんですよ。で 利益が出てる。
絶対 上がるだろうってことですよね?
絶対 上がる。
怖い…。
隈さんは バブルの頃は もう→
笑いが止まらない時代だったんじゃ
ないですか 建築家は。
いや 違う。
建築家の設計だって変わらないから→
全然 つらいだけなんだけど
忙しいだけで。
だけど 周りの人は
すっごく羽振りのいい不動産屋さん。
それから ガクッとなって それこそ
もう仕事も全て失ったみたいな→
この浮き沈みの激しさを
周りで見てたから→
ビルなんて持つもんじゃないなと
つくづく思った。
だから 図面 描いてる方が
つらいけど いいやと思った。
本谷さんは
バブルの頃の記憶ってありますか?
ないです ないです。 もう全然ないですね。
私は…
経験しなくてもいいよ。
バカな時代だよ 本当に。
バカな時代?
うん。へえ~。
こうやって踊ってたんだ。
楽しそうじゃないですか。
ジュリアナとかで踊って。
変化し続ける街 東京 そうした中で失われる記憶をとどめようとする→
ある写真家を取材しました。
<1958年の渋谷駅前の写真です。→
今回 白黒写真をカラー化→
当時の街の様子を再現してみました。→
1962年 郊外だった街に
大きなビルが建てられ→
1980年には
スクランブル交差点が出来ました。→
数十年に及ぶ定点撮影だからこそ
記録できた 街の変貌です>
<こちらは サラリーマンの街 新橋駅前>
<ある写真家が撮影し続けた→
40万枚を超える写真の一部です>
<定点撮影の手法で→
変わりゆく東京の姿を
60年以上 記録してきました>
面白い。
<娘 三智子さん 孫 碧美さんと3代にわたって 街を撮り続けています>
そう そう そう そう。
<定点撮影を始めたのは日々失われていく 東京の街の記憶を→
写真の中にとどめようと
考えたからでした>
<レンズは
自らの家族にも向けられました>
<2人の娘の成長も
同じ構図で 一日も欠かさず→
20年以上 撮影し続けました。→
思春期の頃は それが嫌でたまらなかった娘 三智子さんですが→
今では
父親の定点撮影を受け継いでいます>
<畦草さんが 一番気に入っている
定点撮影の場所があります。→
東京最大の繁華街 銀座の中央通りです>
はい いいよ。
ちょっと こっち向いて。
<成長していく娘たち。→
その背景のビルも→
次々と建て替わっていきました。→
やがて 娘も
母親となりました。→
流れた時間と記憶が→
写真の中に閉じ込められています>
60年にわたって撮られた写真
すごいですよね。
確かに 最後に
写真家の方がおっしゃってたように→
日本って 歴史とかじゃなくて…
開き直ってもいいのかなと思いましたね。
何かもう 私は もともと やっぱり
街に歴史がある方が好きなんで→
雰囲気もあるし ムードもあるし
ニュアンスもあるから。
でも 中途半端に そこを守るより
どんどん どんどん 変えて→
コスモポリタンだって言って→
それで 世界中にない変な街になってもいいのかなって→
ちょっと思いました いっそ。
一般的には 平成というとバブル崩壊ですとか→
失われた20年というふうに語られて→