2020/02/29(土) 21:00〜21:50 NHKスペシャル 東京リボーン(4)「巨大インフラ 百年残す闘い」[字]


日本興業銀行は健在だった。
当時は アメリカ式の安くて早い
建設方法が主流だった時代。
手間も費用もかかると
周囲に理解されなかった→
内藤の耐震構造設計の正しさが
証明された。
内藤は

この耐震構造理論を東京タワーに応用。
風速90メートルの暴風や
関東大震災クラスの衝撃にも→
耐えられるように設計した。
特筆すべきは 完成の僅か7年後にはもう全面塗り替えを行っていることだ。
大敵のさびから守り
強さと美しさを保つためだった。
以来 5年に1度という高い頻度で
塗り替えを行ってきた。
内藤は メンテナンスの重要性について
こう語っている。
2018年 秋 11回目となる


塗り替え工事が始まっていた。
職人たちを率いるのは 山本輝明 55歳。
20代から 東京タワーを塗り続けてきた。
次回の塗り替えの時には
60歳を超える山本は→
今回が最後である。
塗り替えができるのは→
観光客のいなくなった
深夜から早朝の数時間だけ。
1年がかりの作業となる。
周囲への飛び散りを防ぐため→
刷毛やローラーによる
緻密な手仕事が求められる。
厚さ1ミクロンで塗る正確さも必要だ。
隙間だらけの鉄骨は 設計者 内藤多仲が横風の影響を減らすために考案した。
足場の幅 僅か6センチ。
もちろん 命綱はあるが危険と隣り合わせの作業だ。
今回 現場では
若手を半分近くにまで増やした。
ノウハウを残すためだ。
しかし 足がすくむ高さで丁寧な仕事ができるようになるには→
時間がかかる。
最大の敵は 雨だ。
塗装が乾く前に 僅かでも水分が混じれば
耐久性が落ちる。
急ぎ 撤収した。
メンテナンスは 天候との闘いでもある。
東京タワーを守り続けてきた
内藤多仲のメンテナンスの思想。
しかし それが主流となることはなかった。

東京は 壊しては造るということを経済のエンジンとしてきた街だった。
首都高の守り人
インフラドクター部 部長の永田は→
この日 現在使用していない首都高の
点検用通路に向かった。
画期的な実験を行うのだ。
インフラドクターを使っての未来予測である。
壁面に出来た損傷 あえて残しておいた。
永田は 3年前に この損傷を点群データとして記録している。
今回 再び データをとって
3年前と比較すれば→
この損傷が どれだけ広がったかが分かる。
それを基に今後 この損傷が悪化するスピードを→
正確に予測することができるはずだ。
解析結果が出た。
画像を重ね合わせると→
3年間で損傷が広がった部分だけが浮かび上がった。
予想以上に広がっていた。
このペースで損傷が進むと危険だ。
実際の道路にあれば
速やかに補修すべきケースだ。
永田は手応えを感じていた。
データを蓄積していけば→
小さくても すぐに補修すべき傷
大きくても 後回しにしてもいい傷→
年間4万か所もの損傷に補修の優先順位を
つけられるようになるはずだ。
このテクノロジーは
日本の未来も視野に入れている。
働き手が減り 広大な首都高の点検補修が

難しくなることを想定し 今 導入した。
2019年7月。
東京タワーの通算11回目となる塗装工事は→
残すところ 一区画となった。
1年がかりで続けてきた深夜の塗装作業も この日が最後となる。
最後の一塗りは この日で退く
リーダーの山本輝明 自らが刷毛を握った。
♪♪~
朝4時。
東京タワーを塗り続けてきた
山本の25年間が終わった。
9月 東京タワーに
全国のタワー関係者が集まった。
大阪の通天閣
名古屋テレビ塔。
日本の主要なタワーの
多くは→
東京タワーと同じく
内藤多仲が設計している。
建物の新陳代謝が激しい日本で