んですね。
そのときに中国は世界から猛バッ
シングを受けました。
国際社会からももうどんどん阻害
されるような状況になったんです
けど、世界の国の中でいち早く、
手を差し伸べたのが日本だったん
ですね。
2年後には当時の海部総理が、中国に行き、
国交正常化20年のタイミングで
は天皇皇后両陛下も、初めて中国
に行かれました。
中国からもリーダーが来て、
で、
20年のタイミングで、この上野動物園にリンリンという新しいパ
ンダがやって来たんですね。
94年には当時の細川総理が中国に行く、
その94年にえいめいとようひん
がわれわれの近い所の和歌山の白
浜にあるアドベンチャーワールド
にやって来たということなんです
ね。
>>でもまだ贈呈ですよね。
>>非常にこの頻繁な交流があっ
て、世界からのバッシングをなん
とか助けてくれたのが日本、です
から、お礼ということになるんで
すけど。
増田さんが問題提起をしてくださったこの重要な問題、
1993年に起きましたワシント
ン条約で、
国際繁殖研究に限った場合だけ、
外国に持ち出してもいいですよと、つまりレンタル可能だと。
もうプレゼントはだめですよとい
うふうに決められたんですね。
>>そのワシントン条約で決まっ
たらそのワシントン条約に対して
中国のロビー活動みたいな感じで
動きがあったわけじゃない?
>>まだそこまで動きはないのと、
それとやはり中国でもパンダの数というのはどんどん減っていたと
いう危機感があったので、これは
なんとか守っていかないといけな
い。
それから世界のいろんな所で繁殖
をして、
赤ちゃんをまた中国に戻してくれればそれが中国の利益にもなると
いうようなことで、
よく問題にされているレンタル料というのがつがいで約1億円だと
いうような話、それから現地で産
まれた子どもは中国の所有権があ
るので、2年から5年ぐらいの間
には、中国に戻さないといけない
というようなルールができてくる
んですけど、やはり特に日本の場
合には、1億円毎年払っても、そ
れだけ動物園としてはお客さんも
来るし、
十分元が取れるというふうなことで、パンダっていうのが、
やっぱりずっと期待を集め続けた
わけですよね。
ただ、このレンタルになったとい
うことで、
パンダの位置づけというのが中国
は、
ますます政治色の強いものに変え
ていったと思うんですね。
つまりこの第3ステージ、サード
ステージは、中国にとってパンダ
はもう、国益を担う大事な外交官
としての役割を担うようになった
ということが言えると思います。
この国益なんですけど、
ちょうどこの第3ステージの20
00年あたりから始まってるんで
すね。
この2000年の7月には、実は、
和歌山のアドベンチャーワールド
に梅梅と、それから神戸の王子動
物園にコウコウ、タンタンという、
同じ時期に3頭のパンダが日本に
やって来るわけですね。
なぜ中国がこれだけ熱心にパンダを日本に送ったのかというのは理
由があります。
翌年の2001年には中国が世界貿易機関・WTOに加盟をする。
それから上海でAPECという国
際会議を開く、
つまり中国が経済成長を始めて、
国際社会にデビューするためのビッグイベントをなんとか成功させ
ないといけない、日本に協力をし
てもらいたいということで、
先んじてこのパンダを日本に送っ
たと、で、
翌年の国交正常化30年には、
もう1頭のパンダが神戸にやって来ます。
というようなことで、政治色をず
っと強めていくわけですね。
2008年、
北京オリンピックがあったときに私は、
このパンダの行き来、