2019/11/29(金) 16:50〜18:15 スーパーJチャンネル[字]

当番組は同時入力の為、誤字脱字が発生する場合があります。
渡辺≫こんばんは。
「スーパーJチャンネル」です。
今日は訃報からお伝えします。
中曽根康弘元総理大臣が今朝、亡くなりました。
101歳でした。
林≫100歳の誕生日を迎え
日本の再建のために
働くことができ
このうえない喜びと
語っていました。
戦後政治の総決算を掲げ
総理大臣としての在任期間は1806日。
当時としては異例の
5年に及ぶ長期政権を担った
中曽根康弘元総理大臣が
今朝、7時過ぎに
都内の病院で
老衰のため亡くなりました。
101歳でした。
≫去年、100歳の誕生日の際に
中曽根元総理は
日本の再興・再建のために
働くことができたことは
このうえない喜びですと
政治生活を振り返りました。
渡辺≫中曽根元総理は国鉄の民営化などに取り組んで
アメリカのレーガン大統領とは
ロン、ヤスの関係そう呼び合う姿が
話題となりました。


≫180cm近い身長で
元祖テレビ映えする印象の
中曽根元総理。
こんなシーンも印象的でした。
≫レーガン大統領とロン、ヤスと呼び合うほどの
親しい関係を築いた
中曽根元総理。
大統領夫妻を自らの山荘に招き
ちょっと不思議な4ショットが実現したのは、このころ。
こちらは1983年に開かれた
サミット。
記念撮影では
各国の首脳を押しのけ
センターでの密着ショットが
実現しました。
中曽根康弘元総理大臣が
生まれたのは
まだ大正の時代。
東京帝国大の法学部から海軍に入り
戦後間もない1947年
初当選しました。
小さな派閥ゆえの苦悩も。
角福戦争の狭間で立場を変えたことから
風見鶏などと揶揄されました。
その一方で1985年の夏には
戦後の総理として
初めて、靖国神社を
公式参拝するなど
自らの思いを貫きます。
≫行財政改革を推し進めたのも


中曽根元総理。
国鉄の分割、民営化や
電電公社の民営化。
今では当たり前ですが
軌道に乗せるまでの苦労は
計り知れません。
≫変化の時代を見つめ引っ張ってきました。
渡辺≫藤川みな代経済部長は
政治部時代に旧中曽根派担当だったことがあるんですが
取材経験の中で残る記憶は
どんなものがありますか。
藤川≫私が取材を始めたのは
総理を終えられていた2001年からだったんですけど
ちょうど2008年に
卒寿、90歳を
迎えられるということで
ゆっくりお話を聞く機会があったんです。
そのときに非常に
印象に残りましたのが
政治家がテレビカメラの前で
パフォーマンスを行うことの
先駆け的な存在なのが
中曽根元総理ということを
非常に感じました。
先ほどVTRの中でありましたが1983年の
サミットの記念撮影の際に
日本の首脳が
真ん中に立つということは
それまでありませんでした。
そういったことを

非常にサミットが始まる前から
意識されていて、自分が
サミットに出席したときには
真ん中に立とうということを
決めていたというふうに
お話しされていました。
渡辺≫テレフォニティクスという言葉があって
つまり、政治を
映像の中で、どう見せるか。
世界に、あるいは国内に