2020/02/29(土) 21:00〜21:50 NHKスペシャル 東京リボーン(4)「巨大インフラ 百年残す闘い」[字]
僕は話をした覚えがありますね。
大震災から2年後→
三木教授率いるチームが首都高を支える橋脚の調査に着手した。
5年間の調査の末 疲労亀裂が
1,400か所も見つかった。
首都高は疲労亀裂の見つかった箇所を
急ぎ 補修した。
2002年 首都高は この事実を公表。
道路を造ることから直し 残すことに大きく舵を切った。
首都高を百年先に残すための新たな闘い。
その最前線に立つ人物がいる。
メンテナンスのテクノロジー開発を
担当する 永田佳文。
首都高の守り人とも
呼ばれる。
永田は もともとは
横浜ベイブリッジなど→
巨大な橋の建設の設計を担う→
花形の部署にいた。
しかし 1991年→
メンテナンス部門へ異動を命じられる。
一転して 排気ガスにまみれ
道路にへばりつく日々に→
やりがいを見失っていった。
だが そんな永田を大きく変える出来事が起こった。
重さ7kgの
道路の排水マスの鉄蓋が外れ→
走っている車の運転席を直撃。
40代の男性が亡くなった。
蓋が外れた原因は 固定するはずの鎖が
さびて切れていたのに→
放置されていたためだった。
永田はこの事故を報じた 当時の新聞記事を→
今も ずっと保存している。
どんなに立派な道路を造っても→
小さな鎖やボルト一つ
おろそかにすれば 安全は崩れ落ちる。
逆に言えば…
永田は メンテナンスを一生の仕事にすると決めた。
これらは
永田が発明し 開発してきた品々。
点検用ドローン
緩まないボルトナット→
道路を長もちさせる
特殊な樹脂。
あふれる情熱から生まれるアイデアは
尽きなかった。
しかし 小さなメンテナンス部品に
関心を払う人は ほとんどいなかった。
巨大な道路建設の仕事が
依然として 幅を利かせていた。
しかし 2002年 永田の仕事に
突然 スポットが当たる。
阪神・淡路大震災のあとに発見された
疲労亀裂について 首都高が公表。
メンテナンス革命が宣言されたのだ。
この若返り作戦です。
2018年。
永田は新しく出来た部署の部長に抜てきされた。
インフラドクター部。
インフラドクターとは→
首都高のメンテナンス革命の
中核と位置づけられる→
新たなテクノロジーである。
この車には 赤外線レーザーを照射する装置をはじめ→
複数の高精度カメラを搭載。
時速60キロで走りながら→
半径100メートルの範囲にある構造物の
位置情報を測定する。
そのデータを
小さな点の集まり 点群に落とし込み→
首都高全ての路線を→
デジタル空間に 正確に再現することに成功した。
360度 視点を動かして→
通常なら見られない部分を確認することもできる。
実際に足を運ばなくても
現場の状況を把握でき→
メンテナンス業務の
劇的な効率化につながる。
インフラを診察するドクター
道路の医者となるはずだ。
走っている時 お前ら いつも→
また工事かよとかブーブー言ってるだろう?
俺もだ。 悪かったな。
直して 残す。 その方が 今の俺たちの身の丈に合ってるんじゃないか?
地震だって来るかもしれない。
それにしても気になるのは あれだ。
東京タワー。
首都高よりも古いのに 何で あいつだけあんなピカピカなままなんだ?
首都高より一足早く
1958年に誕生した…
「造れば それで終わり」という考え方が
主流だった高度成長期にあって→
既に建設の時点から→
地震への備え 将来のメンテナンスを視野に入れて造られた→
希有な存在である。
設計者は耐震構造理論の先駆者として名高い→
内藤多仲。
関東大震災で東京が壊滅的な被害を受けても→
内藤が手がけた 歌舞伎座や