も可能だ。
だが、Pには、
権力で培った人脈がある。2軒目への移動は、高橋レーシン
グに激安で発注したリムジン。
しかも、
代表の高橋勝大にハンドルを握ら
せる。
ふだんでは味わえない、
スリリングな乗り心地を堪能しながら向かうのは。
ディスコ・マハラジャのVIPル
ームだ。
店に着くと、同僚ディレクターと
AD、
さらにデルモ仲間が出迎える趣向。
段取りが勝負のテレビ業界だけに、
よどみない演出が進む。
盛り上がりがピークを迎えるころ、
プロデューサーは誕生日のデルモ
を落とす最後の一手を繰り出す、
それが。
大澄賢也の登場だ。
Pがブッキングをし、
ADがキュー出しする、見事なまでの連係プレーで登場した大澄に、
デルモはもう落ちたも同然である。
余談ではあるが、このころ、
大澄のほかに、池谷幸雄、パンチ
佐藤、岩本恭生などが、
サプライズタレントとして重宝さ
れた。
ところで、このころ、ADたちが
愛した、
最強のモテアウターがある。
スタッフジャンパーである。
番組ロゴがアイロンプリントされ
た、
2000円ほどのスタッフジャン
パーを身に着けることで、業界人
であることを知らしめることがで
きた。
それは、50万円はくだらない
グッチの革ジャンにも勝るモテアイテムだった。
中でも当時、六本木、
西麻布で五大トップブランドといわれたのが、笑っていいとも!オ
レたちひょうきん族、オールナイ
トフジ、とんねるずのみなさんの
おかげです。
そして、
最強モテ番組だったのが、ねると
ん紅鯨団だ。
ねるとんレベルの人気番組ともな
ると、
MAー1仕様だったらしい。
そんな業界のモテアイテムを活用したADの中には、他番組のスタ
ッフが、
ねるとんのスタッフジャンパーを借りて夜の街を流す、人気番組な
りすまし族や、
番組台本をジーパンの後ろポケットにねじ込んで歩く収録終わりア
ピール族、さらに、
インカムをつけたまま、
六本木をさすらうものまでいたら
しい。
>>やりたい放題だな、きょう。
>>ここで、女性業界人に目を転
じよう。
当時、
珍しかった女性プロデューサー、
憧れの存在としてメディアをにぎ
わせた。
むろん、彼女たちもモテた。
中でも、
河田町で最も熱い視線を浴びていたのが、女子アナだ。
それまでアナウンサーといえば、
ニュース原稿を読む堅い仕事。
そんなイメージを覆し、
女優までやってのけたつわものをご記憶だろうか。
河田町のドラマ、同級生で、
ヒロイン、安田成美の友人を演じ
た、中井美穂だ。
商社マンより稼ぎ、
プロ野球選手と女子アナが結ばれ
る走りも中井だった。
これをきっかけに、
各局でお決まりの王道パターンに。見ると、一流のプロ野球選手ばか
りであることが分かる。
ここまでの選手でないと、女子アナとゴールインできなかった。
業界人は、
モテるために住まいにもこだわった。
それが。
住所である。
世間一般のステータス的には、
広尾、恵比寿などが挙げられるが、
業界人的には、代々木上原、
白金台、柿の木坂に住むのがステ
ータスだった。
中でも、
圧倒的に業界人がはやらせたモテ
住所がある。
それが。
三宿だ。
当時、渋谷からタクシーで、