っと投げて食べる。
>>中田ケンコ60歳。
実は彼女、
ブラジル人学校の校長先生。
>>かわいいね。
>>とにかく大の子ども好き。
何を置いても優先するのは子どものこと。
しかし、時には厳しい一面も。
目下の悩みは、
学校の存続が危ぶまれるほどにお
金がないということ。
そんな中、
入学してきたのは、
15歳の女の子。
>>ことばはできない、
何も話できない。
1人で何考えてるのか、
ものすごく心配しています。
>>お金はなくともやる気と気力は十分。
ブラジル人学校の肝っ玉校長をノ
ゾキミ、ノゾキミ。
ケンコ先生の一日は、
朝5時からの生徒の給食作りから始まる。
>>もう5時から作って、
5時半に出る前にもう終わってます。
>>料理が終わったら、
すぐさま自らがハンドルを握って、
生徒を迎えに出発する。
生徒の家庭はほとんどが夫婦共働き。
親が出勤する前に迎えに行かなけ
ればならない。
>>おはよう、マイケル。
おはようございます。
>>おはようございます。
>>おはよう。
>>毎朝迎えに行く生徒の数は2
0人以上。
2時間近くをかけて、
学校と生徒の家を往復。こんな生活を19年間も続けている。
滋賀県の東部に位置する愛荘町。
人口およそ2万人のこの町には、
500人近いブラジル人が暮らし
ている。
その多くは製造メーカーの働き手
として日本にやって来た人たち。
そんな町にあるのが、
ケンコ先生が校長を務める、コレジオ・サンタナ学園だ。
校舎は青い2階建てのプレハブと、
赤いコンテナハウス。
さらに中央奥の家と左の建物も教
室に使っている。
通っているのは0歳の乳児から1
8歳までのブラジル人の生徒およ
そ70人。
10人の教師による授業はすべてポルトガル語。
ブラジルのカリキュラムに沿って、
9年間の義務教育、
さらに3年間の日本でいうところ
の高等教育を行っている。
体育の授業は学校にグラウンドが
ないため、
町の体育館を借りて行う。
>>もう25年になりました。
いとこが群馬県におって、
電話くれたのね、
おばあちゃん亡くなったから。
>>ブラジルで小中学校の教師をしていた日系2世のケンコ先生。
日本にやって来たのは35歳のと
き。
葬儀を終えて、
ブラジルに帰るつもりだったのだが。
>>子どもたちを見てびっくりし
たの、
みんなソファでこんなに座ってて、
じっとテレビ見てたのね。
ブラジルのビデオ持ってきて、
じっとしてたの。
どうしてかって聞いたら、
社宅だから上、夜勤、右、夜勤、
左、夜勤、
下、夜勤。音したらあかん。
出られない。
心がものすごくきつかった。>>夜勤のために昼間は寝ている
大人たちを気遣い、息を潜めるよ
うな生活をしていたブラジル人の
子どもたち。
ケンコ先生が、
コレジオ・サンタナ学園を設立し
たのは、
そんな環境に置かれた子どもたち
の受け皿となるためだった。
ここでの学校生活で進路を見つけ
て、
希望する分野で活躍している卒業
生も多い。
ここを卒業したらどうするの?
>>働いて、
ブラジルに帰ってそれで得た、
大学する。>>将来の夢は何?
>>エンジニアです。