ませんでした。
被災地、
神戸で震災を知らない世代と呼ばれて育ってきた圓藤さん。
しかし、3年前の4月、
その人生を大きく変える出来事が。
>>また余震がありました。
かなり大きな余震です。
>>272人が犠牲となった熊本
地震。
圓藤さんは当時、
熊本県南阿蘇村にある東海大学の3年生でした。
動物の繁殖について勉強するため、
豊かな自然が広がるこの村にやって来ました。
>>ここに私が住んでた寮があり
ました。
20人弱やと思います。
>>午前1時過ぎ、
大学近くの下宿先で、
寝ているときに激しい揺れが彼女を襲いました。
>>扉開けようと思ったら、
ゆがんでるので開かなくって、
体当たりして、外に出たら、
目に入ったのが、
崩れかけの建物というところで、
ああ、
これはもう急がないとやばいな。
>>この地震で、
近くの下宿先やアパートが次々と
倒壊し、
同じ大学の学生3人が犠牲になり
ました。
しかし、
甚大な被害が出る中で、
救われた命もありました。
>>揺れがすごすぎて立てなくなっちゃって、
倒れ込んだときに、
一緒に建物が崩れてきて、
建物の隙間に3時間ぐらいいて。
>>2階の床をのこぎりで切って救出したっていう。
>>初めて恐怖を感じた大地震。
ここで生かされたのは、
幼いころに神戸で学んできた震災
の教育でした。
>>だれが部屋にいて、
いないのかっていうのを紙に書き出して、一番声が聞こえて、
確実な所から自分たちで出してい
くっていうのを、とっさにですけ
ど、してって。
避難してから点呼取るとか、
状況を把握するとかというのは、
自分が神戸に生まれて今まで受けてきた教育というか、防災に関す
ることが、
熊本地震でいくらかは役に立ったかなというふうに思います。
>>離しますよ。
離しますよ。
炎がばーっと来たといったら広げ
てください。
水の膜が出来るので、自分が守れ
るので。
まずは自分の体やから。
>>おととし4月、
大学卒業を機に、再び地元、
神戸に。
神戸と熊本、
2度の巨大地震を経験した自分だからこそ、果たせる役割は何か。
自問自答する日々を過ごしました。
>>震災を経験していても記憶にないとか、
どんどん知っている人たちが少な
くなっていく中で、
自分が経験したことをしっかり地
域の人たちにも伝えるっていうと
ころが、自分役割かなというふう
に思っています。
>>そして、
彼女が出した答えは教師になること。
神戸市でも震災を経験していない
市民が4割を超えた今、
次の世代に自分の経験を伝えよう
と決意しました。
この決断を伝えるために、
圓藤さんが真っ先に向かったのは、南阿蘇村でした。
>>おー、
お帰り。めっちゃ覚えてる。
>>お久しぶりです。
久しぶり。
>>この日は、
村の復興を願って行われる年に一度の祭りの日。
3年前に圓藤さんたちが中心とな
って立ち上げました。
今も地元住民と後輩たちの協力で、
しっかりと受け継がれています。
>>こんにちは。
お久しぶりです。
>>お久しぶり。
なんかきれいになった。
>>合格しました、無事に。
>>まじで?よかったね。でも、沙和ちゃんなら合格するは
ずだもん。
>>いやいやいやいや。>>受かった?
>>お祝いせなね。