いでいうことで、もう一切、
もう新地の街はなんていうか、
禁止やっていうようなちょっとルール事みたいな、
そこまでするべきちゃうか。
>>時代が下ってくるにつれ、
よくなくなってきているという認
識なんですね。
北新地を立て直す、最後のチャン
スだと思ってます。
>>北新地のメインストリートに
建つ5階建てのビル。
このビルのオーナーで、レストラ
ン、
バーを経営する徳永しんすけさん
は、この街で生まれ育ちました。
>>これが幼稚園の入園式のとき
だと思うんですけど。
これ今のちょうどお店の、入り口
の所で、撮影した写真です。
北新地っていう、
なんか思い入れっていうか、自然となんか、
体にしみついてるというか。
>>祖父の次郎さんが北新地でクラブを開店したのは昭和32年。
クラブ全盛期のころです。
徳永さんは25歳のとき、
サラリーマンを辞めて家業を継ぎ
ました。
北新地でなりわいを続けて17年。
最近、
ある憂いを抱くようになりました。
>>なんかもう、
オールド北新地は嫌だみたいなっ
て、
なんか思ってしまってる、もし若
い人たちがいてるんであれば、
やっぱり昔から大事にしてること
にも、
ちょっと触れてもらって、
そういうなんかこう、
古きよき部分も、なんかこう、
感じていただけたらな。
>>徳永さんは5年前から地域の
清掃ボランティアを続けています。
月に3回の活動には北新地の店の
経営者だけでなく、
近くのオフィスで働くサラリーマ
ンも参加しています。
たばこの吸殻や空き缶、
ごみは年々増えています。
>>ここ3人は新地でお店やって
るんで、自分たちが、
自分たちの街をきれいにするのは
当たり前やと思ってやってるけど。
なんか申し訳ないっていうか、
お客様とかほかの人たちが一緒にやってくれるっていうのが、
なんかすごい感動というか、
すごいなと思う。だから申し訳ないなと思うけど、
それはすごいなと思いますよね。
>>もっとね、
新地で働いて人たちがそういう気
持ちになってくれたらいいなと。
新地っていうのは、
やっぱり大阪を代表する繁華街ですし、
そこをもっと意識持ってプライド
持ってというか。
>>北新地はもともと、
大阪に4つあった花街の一つ。
大正時代には800人を超す芸子
さんが、
街に花を添えていました。
昭和の高度成長期のころ、高級ク
ラブが次々と出来、
3000もの店がひしめき合う歓楽街となりました。
景気のいいころは、
会社の接待で一晩100万円単位のお金が飛び交った街。
バブルの崩壊やリーマンショック、
景気が悪くなるたびに客足が遠のく苦しい時代もありましたが、
街を愛し、
誇りを胸に秘めたクラブのママたちが、
北新地の品と格を守ってきました。
夏の風物詩、
天神祭のころには、
北新地のネオン街をその一行が練り歩きます。
その昔、
米市場として栄えた歴史を持つ堂島地区。
伝統行事を復活させたのは、10
年前のことです。
歴史と伝統に裏打ちされた大人の
社交場、北新地。
今、
新たな問題が街の姿を変えようとしています。
客引きです。
北新地は客が赴き、
それを出迎えるのが本来の姿。
強引に客を連れてくることなどありえませんでした。
実は、
4年前に出来た大阪市の条例で、
梅田駅近くの商店街は客引き禁止
の重点地区に指定されています。
しかし、