った、
2025年の万博。
ロシアのエカテリンブルク、
アゼルバイジャンのバクーと、
三つどもえの誘致レースは、
いよいよあさっての投票で勝負が
決まる。
>>大阪誘致、
決まりましたら、
ここに未来の都市のモデルが出来
ることになります。
>>大阪の万博のテーマは、
いのち輝く未来社会のデザイン。
会場は大阪湾に浮かぶ人工島、夢
洲だ。
万博の開催により、
関西の街はどう変化するのだろうか。
今では当たり前となっている光景。
実は1970年、
あの万博がなければ、見られなか
った可能性も。
さらに最近では、
万博開催がきっかけで、
住みよさランキングで突如、
全国2位に躍り出た街が現れた。
>>長久手っていう名前が、世の
中にいろんなメディアで、
目に触れるようになったというの
は、すごく大きいですね。
>>今はまだ何もない人工島の夢
洲。
ここで万博が開催できたとしたら、
私たちに、そして関西の街に、
一体何を残してくれるのだろうか、
ゲキ追した。
1970年に大阪で開かれた、
日本万国博覧会。
当時、
会場内でのアルバイトも経験し、
万博のとりことなった白井達郎さ
ん。
万博ファッションショートして披
露されたパビリオンのコスチュー
ムや。
あべのハルカス美術館の太陽の塔展の連動企画として、
展望台で展示されている貴重な万
博グッズの数々は、
この白井さんのコレクションの一
部で、
その総数はなんと1万点を超える、
生っ粋の万博マニアだ。
>>私だけではなくて、行った人
みんな、
未来はこうなると信じてましたも
んね。
お客さんがみんな笑顔になって、
見れるような場所であったんですよね。
>>世界の国々から、
また日本の各地から、
万国博に来た人々が一度は訪れた
調和の広場。
>>1970年の万博は、
人類の進歩と調和をテーマに、
183日間開催され、入場者数は、
当時の世界記録となる6400万
人以上を記録。
>>慈愛に満ちた母の塔が、
太陽の塔と相まって広場の調和を
保ちます。
>>この万博で紹介されたのは、
今では当たり前となった携帯電話。
さらに。
>>一番初めのシャワー、かかり湯でございます。
>>人間洗濯機など、
現代につながる技術も数多く展示され、
アジアで初、
日本で最初の博覧会として大成功を収めた。
そんな万博の遺産・レガシーが、
実は今の大阪の街並みの中にも、
数多く残っていた。
>>これも万博のときに出来た高速道路ですね。
万博までは環状線しかなかったん
ですけども、
そこから郊外に向けて、
どんどん延ばすときやったんです。>>大阪市に、
当時の貴重な映像が残されていた。
マイカーブームで交通量が年々増加していた1960年代の大阪。
その後の経済発展を支えた主要な
道路の多くが、この時代、大阪万
博に間に合わせるために、一気に
完成したのだ。
さらに世界的にも珍しい、こんな
場所も。
>>この高速道路が、
そのときに作られたもので、こちら、ちょっと見てください、
ビルの上に高速道路が走ってます
ね。
これ、
当時でも、今でも、画期的なものですね。
>>この大工事は、