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2020/12/28(月) 18:00〜22:00 国民・専門家・AIがガチで選ぶ 戦国大名総選挙[字]


治めていたのが本多忠勝。
戦力データによると武力が99!
武力の高さが際立っている大名。
戦国最強といわれた
伝説的なエピソードもたくさん残っている。
≫時は1570年
本多忠勝、23歳の時に事件は起こった。
この年に起こったのが
織田信長と徳川家康の連合軍が
朝倉・浅井軍と戦った
姉川の戦い。
≫信長と家康が組んだら
もう無敵ですよね。
もちろん、ボッコボコに
しちゃったんですか?
≫いや、この戦いでは
逆に信長軍も家康軍も
相当苦戦して
負けそうだったんですよ。
≫家康様!
≫うわー!すごい大群ですね!
≫敵方の朝倉軍は1万人。
これに対して、徳川軍は
5000人しか
いなかったんですね。
≫もう、これまでか。
≫本多忠勝の頼れる上司もこのとおり。
徳川家康、絶体絶命。
しかし、このあと本多忠勝の激ヤバ行動で
形勢が逆転する。


さあ、本多忠勝が
絶体絶命の状況を逆転に導いた
驚きの行動とは?
ウエンツ君
10秒でお答えください!
≫どうでしょう…。
武器も何も持たず
裸一貫で向こうの陣地に
走っていった!
≫家康殿。
≫な…何を言っておるのだ!
≫でも、これ

ただ、何にも考えないで
突っ込んでいったわけじゃ
なかったんです。
ちゃんと、忠勝には
家康軍を勝利に導く秘策があったんです。
≫何をしておる!
皆、忠勝に続け!行け!行け!
≫本多忠勝は、もう、この時
徳川家康にとって
なくてはならない
家来だったんですね。
だから、当然
忠勝を死なせたくない。
それで徳川勢は忠勝を救うために
みんなが戦ったんです。
≫1万対5000という
圧倒的不利の中
忠勝の勇気ある行動で

徳川軍は奮起。
見事、勝利したんです。
≫しかし、なぜ忠勝は
自分で天下を取ろうとは
しなかったのか?
≫本多忠勝は、ともかく
徳川家康っていう人のことを
本気で好きだったみたいです。
だから、忠勝は
家康に、最後の最後まで
忠誠を誓っていました。
彼は最終的に、三重県の桑名城
そこの大名になるんですけれども
桑名という場所は
西から東海道を通って東国を攻めようとした時に
必ず通らなきゃいけない
お城だったんです。
ですから、ここを任された忠勝は
本当の意味で、家康から
信頼されていたということが
できると思います。
≫あり余る強さを持ちながらも
家康に生涯尽くした本多忠勝が
第10位でした。
≫信長の亡きあと
秀吉と家康の権力争いが
白熱する時代に活躍。
各部門で、それぞれ
高い順位を得ていますが…。
≫専門家の海上さん。

その大名のどこがすごいんですか?
≫第9位に選ばれたのは
領民と力を合わせとんでもない戦術を使う大名。
選ばれたのは…。
≫徳川家康の軍を何度も撃退した真田昌幸。
≫真田昌幸は
どこで、何をした?
上田城を拠点に、長野県・上田を
およそ17年治めた昌幸。
天下統一間近の家康軍を

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