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2018/08/15(水) 15:50〜17:53 ten.【若一調査隊!京都“五条通”はなぜ道幅が広がった?】[字]


ウルトラマンや、
怪獣たちの姿は、何年たっても、
記憶の中で生き続けているのだ。
ウルトラマンを誕生させた脚本家
がいる。
その男の名は、金城哲夫。
>>早く逝っちゃったもんだから、
伝説の人になってしまったんでし
ょうか。
>>そして金城と共に、ウルトラ


マンを育てた盟友が、
上原正三だ。
>>アイデンティティっていうん
ですか、やっぱり、沖縄で生まれ
育った者の、
ある意味では使命感みたいなもの
もあったんじゃないですか。
>>共に2人が育ったのは、
戦場の島となった沖縄。終戦から73年となった今も、基
地を巡る問題は、
出口が見えないままだ。
ウルトラマンと沖縄をつなぐ接点
とは何か。
特撮の世界に秘められたメッセー
ジを、ゲキ追する。
沖縄県の南風原町に、
ウルトラマンの聖地と呼ばれる場所がある。
ここには、

ウルトラマンの生みの親、
金城哲夫の書斎が今もそのままの
状態で保存されている。
弟の和夫さんが、この場所を守っ
ている。
>>ここには大体いつからいつぐ
らいの。
>>32で辞めてきてますから、
32から亡くなる37の5年間、
ここで仕事をしてますね。
>>今、
全国各地からこの場所を訪れる人

が後を絶たない。
今は亡き金城哲夫の写真を見たり、
手がけた脚本を眺めながら、
感動して涙を流す50代の男性も
いるという。
>>とにかくあれは、
ただの子どもの番組じゃなかったって、
皆さん同じようなことをおっしゃ
るんですよ。
ただおもしろかっただけじゃない、
何かね、
大人になってから感じたこと、
経験したことを通して、作品の中に込められたものがあったんじゃ
ないかということで、非常にそう
いうことをおっしゃる方が多いで
すよね。
>>昭和41年に始まったウルトラシリーズは、特撮技術を駆使し、
すぐに子どもたちの絶大な支持を
得た。
金城哲夫は、
ウルトラマンと戦う多くの怪獣たちを生み出したが、その中には、
沖縄らしさをまぎれ込ませていた。
>>頭でっかちの怪獣を作って、
こちらでチブル星人って命名した
わけです。
頭のことを沖縄の方言で、
ちぶるというんです。だから、そのチブルの大きいやつ
を作って、チブル星人と。
>>さらに、ウルトラセブンのラ
イバル怪獣には、金城をもじって、

キングジョーと名付け
たりもした。
才能豊かだった金城は、特撮の世
界に入る前から、若くして映画制
作に没頭した。
戦勝国として沖縄を統治していた
アメリカの事情や、沖縄の伝統文
化にも関心を寄せていたことが分
かる。
そんな金城の原点は、東京の高校
に進学したとき、
本土と沖縄の若者たちの間に、大
きな意識のギャップを感じたこと
にある。
>>沖縄を知ってもらおうと思っ
たんでしょうね。
あまりにも沖縄を知らないもんだ
から、文部省が、日本の子どもた
ちに、沖縄の実情というのを、
全く教えてない。
隔離されている状態ですよね。
アメリカの施政下ですから、沖縄
は。
パスポートを持って行きましたか
ら、留学という形で。
沖縄の魂みたいなものを知っても
らうというか、そういうものに対
しては、非常に積極的に思ってた
んじゃないかなと思うんですよね、
あれは。


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