2018/10/31(水) 15:50〜17:53 ten.【若一調査隊!松尾芭蕉が愛した滋賀・大津へ】[字]
貝といわれる貝なんですよ。
皆さん、
夜光貝ってご存じですか?>>知らないです。
>>普通、皆さん、知らないです
よね。
一体夜光貝ってどんな貝なのか。
実は、無骨な貝なんですけどね。
その無骨な貝がどうしてあんな宝
物に変化するのか、
あるいは食べてみたらどんな味が
するのか。
>>食べられるんですか。
>>そういったことも含めて、私
と黒木さんで、奄美大島、徳之島
に行って、夜光貝を徹底調査して
まいりました。
それを日曜日の特別番組で、楽し
く放送させていただきます。
>>正倉院美のナゾを追え!
南の海と宝物の物語は、今週日曜
日、11月4日朝6時30分から
です。
ぜひご覧ください。
>>では続いて。
>>レッツゴー!
>>若一調査隊。
ーきょうのテーマはこちらです。
俳句の神様と呼ばれた松尾芭蕉は、
なぜ琵琶湖のそばで眠っているの
か。
義仲寺や瀬田の唐橋、
幻住庵など、芭蕉が愛した大津の
魅力を追体験します。
>>誰もが知っている俳聖、松尾
芭蕉は伊賀、うえのに生まれ育っ
て、51歳のときにこの大阪で亡
くなってるんです。
ところがお墓は滋賀県の大津にあ
るんですね。
どうしてなんでしょうか、ご覧く
ださい。
>>古池や蛙飛び込む水の音。
>>俳句の代名詞ともいわれるこの句をはじめ、江戸から東北、
北陸を巡った旅の記録、
おくのほそ道などで知られる松尾芭蕉。
生涯で残した俳句の数は、
確認されているだけでも1000句近くに上り、
今もなお世界中から注目され続け
る、
日本を代表する俳諧師です。
そんな松尾芭蕉の故郷は、
三重県伊賀市ですが、実は亡くな
ったあと、
意外な場所にある墓で眠っている
んです。
>>さあ、私たちは大阪のメイン
ストリートであります、
御堂筋の本町にいるわけなんです
が、
あちらにちっちゃな目立たない碑
が建ってますね。
ここは、松尾芭蕉さんが、
324年前の元禄7年、この場所にあった宿で、
亡くなっておられるんですが、
ご遺体はすぐにこの場所から滋賀県の大津に運ばれたんです。
>>え?なんで大津なんですか。
>>実は松尾芭蕉さんは、大津が大好きでして。
>>琵琶湖の南端に位置する滋賀
県大津市。
芭蕉は、
晩年、この地を愛し、
周辺で数多くの名句を詠んだので
す。
なぜ芭蕉は大津を愛し、
ここをみずからの最期の地に選んだのでしょうか。
そこできょうの若一調査隊は、
松尾芭蕉が晩年を過ごした滋賀県大津市を大調査。
琵琶湖を取り巻く景色から見えて
きた芭蕉が大津を愛した訳とは。
さらに山深い芭蕉ゆかりのいおり
で、調査隊も一句。
お2人とも風光明媚な。
>>風光明媚違うやろ。>>きょうは日本の歴史上、
最高の俳諧師ともいわれる松尾芭
蕉の足跡をたどり、知られざる大
津との関係に迫ります。
早速、調査隊は滋賀県大津市へ。
ここに松尾芭蕉が眠る墓がありま
す。
>>こちらです。
この中に埋葬されたと。
>>JR膳所駅から300メート
ルほどの場所にある義仲寺。
もともとは平安時代の武将、
源義仲の墓があったことが名前の由来とされています。
源義仲は、
鎌倉幕府を開いた源頼朝や源義経のいとこに当たり、
木曽義仲の呼び名でも知られてい
ます。
そんな義仲が眠っている実は芭蕉