2018/08/14(火) 15:50〜17:53 ten.【ゲキ追X“お盆の墓参り”に異変!?変わるお墓のカタチ!】[字]
まだまだ出るよ、たくさん。
>>何人分ぐらい、今まで遺骨、
回収されたんですか?
>>4000体ぐらい。
>>西尾さんが国吉さんの存在を知ったのは、3年前、
神戸の灘高校の修学旅行で沖縄を
訪れたときでした。
>>ああいう遺品が、
戦後70年間たったときであっても、
出続けるってこと、
全然想定せずに行ったんですよね。そういう衝撃があって。
だから、
そもそも沖縄戦の痕跡、沖縄戦、
だから遺品が語る沖縄戦のひどさ
とか、
そういうものに対して全然知らな
かった、
無知であった自分に対して、一番
衝撃を受けたんですよね。
>>無知の恥。
みずからの感情をこう表現する西尾さんは、アメリカの大学の夏休
みなどを利用し、国吉さんのもと
を訪れては聞き取りを続けていま
す。
>>ごうのどの辺りに骨があるかって分かるんですか?経験から。
>>大体、
入り口にはほとんどなくて5メートルぐらい中にある。
>>お兄さんも軍人ですよね?
>>こうなん丸で向こうに行って、試験合格して、本土に。
敵の潜水艦にやられて亡くなった。
当時16歳か17歳ぐらい。
幼稚園から軍歌ばっかりだった。
空襲警報聞こえてきたら、今、
僕たち、
小さいから、大人の言うことよく聞いて、慌てないで、
騒がないで、
落ち着いて、さあ入ってみましょう、
防空ごうって。
軍歌ばっかし。
>>沖縄は明治初期まで琉球王国
として独自の文化を持っていた分、
住民は徹底した国家意識を植え付
けられました。
その意識は根強く、
捕まって殺されるなら、
自分たちで死んだほうがいいとい
う教えを信じ、集団自決をする人
たちも。
さらに民間人を追い詰めたのは、アメリカ軍ではなく、日本軍でし
た。
追い詰められた日本軍は、
ガマに押し入って、
女性や子どもを戦火の中に追い出したり、
殺すこともあったといいます。
ガマに残っていた遺品は、
日本軍のものが多かったため、
沖縄の人の中には、
国吉さんの活動に嫌悪感を抱く人
もいました。
>>遺骨を収集していると、戦争
で日本軍に殺されて、
5名も死んだからね。
やられてね、こんなことやるなって。
>>同じ日本人が加害者だった沖
縄戦。
だからこそ、
向き合いたい。
その思いから国吉さんの中にある、
今しか聞くことのできない戦争の記憶や遺品の意味を、
余すことなく記録し続けています。
遺品がどんな場所で、
どんな状況で出たのか。
そこから想像できる沖縄戦の実相とはなんなのか。
遺品が語る、
声なき声に耳を傾けることで、
戦争を感じ継ぐことができるので
はないか。
その一心で、通い続けています。
>>火炎放射でここまでなるっていうのは、たぶん、
実物を見ないと想像できないこと
だと思うし、
これを見たときは、すごい絶句し
たというか。
使ってた人が、ごうの中で生活を
していて、
今の自分と一緒のように、
その命がいきなり奪われたからこそ、今、
遺品として目の前にあるというこ
とを考えると、
どれほど悲惨なことだったかって
いうのが、
身にしみて分かったし。
毎日掘っても遺品が出るっていう話をされて、
70年間ずっと、
沖縄をさいなみ続けてるんだなって、沖縄戦の歴史が。
それはすごい、心、胸に刺さると
いうか、
あとはそんなことを知ろうともし
なくて申し訳なかったなと。
>>自分が知ったこの衝撃と事実